札幌の観光名所・大通公園(ルーツ編)

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大通公園 花壇

大通公園は札幌の街づくりにおいて、
都市計画の基本線となっています。

1869年に明治新政府の蝦夷開拓御用掛となった島義勇は、
開拓使判官として当時原野だった札幌を
『五州第一の都』にしようと考えました。

そこで構想されたのが、
碁盤の目状になっている整然とした街並みです。

札幌市は南北に分けられ
その北を官地、南を民地とする計画が進められました。

官民の土地を区分するものとして広い道路が設けられ、
1871年に判官の任を引き継いだ岩村通俊は
これを『火防線』として大通公園の位置に定めたのです。

火事が延焼しないように
空き地のスペースを設けるという意図であり、
この105mという幅は
日本国内で見てもあり得ない大規模なものでした。

 

1881年に札幌の区画は、京都にならうかたちで
『条・丁目』の表記とする条丁目制を導入する
『札幌市街名称改正』が行われ、
ここで『大通』の名前がつきました。

1872年に札幌の道路に北海道の国都名がつけられたときには
『後志通』と名付けられていたのですが、
これは定着しませんでした。

 

大通公園となるエリアは
当初からすべて有効に利用されていたというわけではなく、
3丁目から4丁目のあたりが札幌の中心広場という
かたちでいろいろと利用されていました。

1876年には2,000坪にもなる花壇が作られ、
1878年には2丁目と3丁目が
第一回農業仮博覧会の会場となったことから、

イベント会場としての活用がなされるようになっていきます。

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